香港碼頭日記

香港での生活を徒然なるままに、、、

状況追随思考

正月三が日は実家とのオンライン新年会を除くと特に予定もなく、釣りに出かけたり読書をしたり、のんびりと過ごす。

海外で暮らしている日本人はみな多かれ少なかれそうだと思うが、香港にいると必然的に自分が日本人であることを意識させられるし、そうすると暮らしている国や地域と日本との歴史的な関係も気になってくる。そんなわけで、正月は地歴社から出版されている『世界史との対話(下)』の満州事変から太平洋戦争に至る箇所(第63講~65講)を読んでみた。高校生のときに世界史を学んだのだが、正直なところ受験科目としての世界史という視点でしか捉えずに、単に試験で点数をとるための勉強をしていた。でもこの本は、歴史的な事象の背景をより掘り下げることで、歴史を通じて現代社会や自分自身についても考えさせられるような深みのある内容となっている。

満州事変から太平洋戦争終結に至る過程は、政党政治が終焉し、軍部が台頭していくという大雑把なイメージで捉えていたが、実は日中戦争においては軍部が早期和平を望んでいたにも関わらず、当時の近衛政権による主張である戦争推進の道をとる結果になったこと、そしてそうした政策決定における昭和天皇の立ち位置などの記述はなかなか興味深い。

事態の小さな悪化に、”これくらいなら…”と、”小さな同意”を積み重ねているうちに、あるとき後戻りできないくらいの決定的な破局に至ってしまうのが歴史なのです。そして政策決定者が、誤った政策を既成事実の”前提”として次の政策を決定する”状況追随的な思考”を行うとき、本来とるべき別の選択肢が見えなくなり、さらに誤った政策を選んでしまうことになるのです。

本書の第63講の最後にあるこの一節を読むにつけ、組織における意思決定の難しさを痛感するし、仮に自分がその当時同じような状況に直面したとして、より賢明な判断を下すことが出来ただろうかと自問自答してしまう。

人間の本質は変わっていない。小川氏のいう「自分たちの”内なる戦争への道”」は平和教育を受けた現代の日本にも潜在的にあるということだ。では、どうすれば状況追随的な思考を食い止めることができるのか?小川氏は、石橋湛山による小国主義を例にあげながら「冷静・正確な他者認識」・「共感的理解」の重要性を説いている。自分の基本的な姿勢の目指すところとして、まずは折に触れて意識していくようにしよう。